体に悪い?ランニング依存症(中毒)の原因と症状まとめ
「依存症」という言葉は様々な場面で使われることが多くなりました。
ランニングにも、「ランニング依存症」という言葉がありますが、ランニングには“クリーンなイメージ”が勝っているので、あまり危険性は問題視されていません。
その反面、「アルコール依存症」だとか、「ギャンブル依存症」は、健康面・経済面で悪影響が強いので、社会問題視されているのも現実です。
ご多分に漏れず、「ランニング依存症」もある一定の水準を超えれば“体に悪い”などの弊害も出てきます。
ジャンプできる目次
ランニング依存症の恐怖の症状は「体を壊しても走り続けること」
「ランニング依存症」になるメカニズムとしては、脳内ホルモンの「セロトニン」が大いに関係していますよね。
「セロトニン」とは“幸せホルモン”とも呼ばれていて、脳にセロトニンが充満すると、心地良い気分が持続しやすいんです。
ランニングのような“リズム運動”はセロトニンがドバドバと出やすく、それが“気持ちいい”と脳が反応して、ランニング依存症になり、いい意味でも悪い意味でも“ランニング依存症”になってしまうわけですね。
なので、たとえ膝を壊していても走ってしまったり、豪雨の中でも走ってしまうなど、体調よりも“走ること”を優先して、自らの健康を損なっていく「ランニング依存症」は、あまり筆者はオススメしたくありません。
「なぜ走るのか」は「ランニング依存症」の症状にも関係がある!?
“なぜ走るのか”の理由は、10人いれば10通りの答えがあると筆者は考えています。
たとえば、ダイエットのため、駅伝のため、5kmでPBを出したい、800mで自己ベストを出したい、新陳代謝をよくしたい、フルマラソンで好成績を残したい、など。
それのどれも、“認められたい”という欲求が勝っていることは間違いありません。
「生きること」自体を思慮することすら、“生きる意味”をみつける“欲求”という考えが哲学にはあります。
人間として生きるからには、「認められたい」と思うのは当然なのです。
“依存症”と重ねて急増しているのが、「ワーカーホリック」。仕事は“数字を出せば出すほど評価される”という面もあるので、仕事一筋で「仕事が趣味です」なんて方もいるんですよね。
ランニングにも同じことがいえて、「速いタイムで走りたい」だとか、「走ってる俺、かっこいい!」だとか、“承認欲求”というのは、「ランニング依存症」の引き金にもなるわけなんです。
“なぜ走るのか”は人それぞれですが、自分で認める・人から認められるを問わず、“認められたい”という欲求が、「ランニング依存症」の原因になっている、一つのメカニズムだともいえるわけなんです。
ランニング依存症は健全的?ギャンブルやアルコールよりオススメできるワケ
では。「なぜ“ランニング依存症”が悪なのか」といわれれば、たとえば家庭を省みずに休日はひたすらトレーニングに明け暮れるだとか、食べることを我慢して“競技成績”を求めるだとか、怪我をしているのにランニングがやめられないだとか、そういった“歯止めが効かない状態”が、ある程度の分岐点になるかもしれません。
とはいうものの、ライフワークや人生は“人それぞれ”なので、明確な線引きがあるかどうかは筆者には判断できません。
ただ、たとえば「ギャンブル依存症」であれば、生活が破綻するほどお金を使ってしまったり、「アルコール依存症」であれば、手が震えて“昼間でも飲みたい”というような症状が出ることは、社会的・健康的に“認知されにくい”ということが多いですよね。
“熱中できる”というのは、どんな趣味でも「いいこと」なんです。
でも、たとえば「依存していることがダメだと分かっているのに、歯止めがかからない」というのは、どんなことでも“依存症”の状態になっているともいえるんです。
なので、たとえば「膝が痛くても走りたい……」と悩みつつ走っていたり、「競技のためなら死ねる!」と、プロ顔負けの練習で“気苦労”しているのであれば、それはある意味、“ランニング依存症の弊害”ともいえるでしょう。
とはいえ、ある程度“コントロール”が可能なのが「ランニング依存症」だともいわれています。
「アルコール依存症」の人や「ギャンブル依存症」の人は“入院する”という事態もあるようなので、「ランニング依存症」は、ある意味、“健全的である”ともいえるんです。
ランニング依存症まとめ
もちろん、筆者も「ランニング依存症」経験者です。スネが痛くてもスピードを出して走りたいだとか、体調が悪くても毎日走るだとか、そういった“情熱時代”も筆者にもあったわけです。
今はその時の“依存症”を少しでも取り戻したいほどのサボり具合ですが、ランニングは“ライフワークでいいスパイス”であったほうがいいと感じてます。
この記事を書いた人
- → 広告掲載について