陸上競技・マラソンのスターティングブロック(通称スタブロ)とは?
平和が一番。
筆者がサブスリーを目指している愛媛マラソンも、いよいよ1ヶ月を切りました。様々起こってしまったことは仕方なく、未だにサブスリーができていないのは単なる「努力不足」。
ただ、やはり人間“自分の思う通りに行かないと”、「不満」が出てくるもんでしょう。
実は愛媛マラソンのスタートブロック制度に、かなり多くのランナーが疑問を感じているよう。
「スタートブロック申告制」の限界点と、ランナーのモラル・マナーを改めて考えざるをえないわけです。
愛媛マラソンの2016年の順位で振り返る500の枠
鈍足筆者ですが、2016年の愛媛マラソンのタイムがグロスで3:03:16。
確実に実力不足を感じた大会、総合の順位が295/7658です。
問題は、2017年の愛媛マラソンのスタートブロックの「Aブロック」が1500人から500人に減少した点。
これには、「ゴール予定タイムの申告をサバ読みするランナーがAブロックに集まる」という事態が起こり、考えられた主催者側が下記のように定めたわけです。
- Aブロックはアスリートエントリー枠から
- アスリートエントリーとは、男子3:30以内、女子4:00以内の記録を持つランナー
- 申告タイム順で、男子2:55以内、女子3:30以内の申告をしたランナーの上位500名
上記がAブロックに振り返られるわけです。
ちなみにBブロックは、2時間20分から3時間20分までの申告順。
つまり、2時間30分以内の走力のあるランナーでも、場合によってはBブロックになるわけです。
運営の方によると、「Aブロックのサバ読みのクレームが多かったため、今回の制度にいたった」そうです。
ランナーが心がけたい「モラル」と「マナー」
正直言うと、筆者も最初「Bブロック」と知った時は愕然としました。
一度、大阪マラソンで「Cブロック」でスタートしたとき、前のランナーがお喋りしながらゆっくりジョギングをしているのを見て、危険性とモラルを感じざるをえなかったからです。
マラソンにはランナーの方なら当然のごとく、「グロスタイム」と「ネットタイム」があるのは周知の事実。
中にはタイムを競っているランナーが、「グロスタイム」を少しでも早くしたいということも起こるわけです。
速く走りたい、早くゴールしたいのは誰しもが一緒。
ただ、「申告制」というスタートブロックには限界が見えてきているのも事実でしょう。
「サブ4ランナーAブロック」と「サブ3ランナーBブロック」がスタートする危険性
そして、モラルやマナー以上に危険を感じるのが、「衝突事故の危険性」です。
BブロックやCブロックスタートでも、時速15km/h以上で走るランナーは多いでしょう。
反して、Aブロックスタートでも時速10.5km/hで走るランナーが混在することは、かなりの危険性を伴います。
単純に5km/hで歩行している人が電柱にぶつかる痛さではなく、走っているということは足の接地が地面から離れていて、バランスを崩しやすい全身運動なんです。
物理の成績が悪かった筆者が考えても、その危険性は言わずもがな。
一歩間違えば、大事故。
今回は筆者も、ゆっくりスタートせざるをえないでしょう。目標タイムよりも、ランナーの安全性です。
ただ、モラルハザード、事故の減少は絶対に訴えておきたいです。これは決して「運営へのクレーム」だとは思っていません。
むしろ、気をつけるべきは我々ランナーでしょう。
信号無視当たり前のランナー、黒い服装で走る夜のランナー、車がつっこんできても止まらないランナー(もちろん車側にも非はありますが)、ゴミを道路に捨てるランナー(誰も見ていなくても、誰かがそのゴミを見ます)、猛スピードで公道を我が物顔で走るランナー。
「マラソンブーム」がもたらしたものが、こんなランナーのエゴではないはずです。
「自分が走りきりたいタイム」と「本当に自分が走りきれるタイム」、もう一度見直したいものですね。
そしてこれはクレームではありません。
10km/hで前を走るランナーと、15km/hで後ろから走ってくるランナーの衝突の可能性と危険性は、極めて高いものです。
まとめ
今後、人気マラソン大会では「スタートブロックのジレンマ」はどの大会でも起こってくるでしょう。
ただ、運営の方にも限界がありますし、何より“ボランティアの方への感謝”はマラソンランナーは忘れがちではないでしょうか?
走って勝手に死ぬのは自由ですが、走って人を傷つける“原因”になることはあってはいけない……そう思いませんか?
たとえば、愛媛マラソンの場合はせっかくの「アスリート枠」があるのですから、運営の方は大変でしょうが、「持ちタイム順」にすれば、今回のような“事故の危惧”は回避されるはずです。
どの大会も「マナーの悪さ」が目立ち始めた昨今、できればまずは「我が身を振り返られねばな」と思わざるをえない、厚顔無恥な筆者でした。